富士山の方向へ導くように置かれたモニュメント。「富士山の光を受けるのに世界のどこの石が一番似合うのかと考えたとき、四国の白い『庵治石』が合うと思った。白い雪の清らかさが石に映ってくるような、富士山を映す鏡のようなイメージ。」と和泉さんは話してくれました。和泉正敏さんは1938年、香川県高松市牟礼町で代々石屋を営む家に生まれました。香川県は良質な花崗岩の産地であり、特に牟礼町で採取される花崗岩を『庵治石』と称します。
四季折々、日々の太陽や月の運行により、休むことなく刻々と移ろう庭園越しの風景と、永遠性をイメージさせながら富士山を指し示し続ける庵治石のモニュメント。この壮大なパノラマが成立し得るのは、「石」という地球そのものから生まれた素材の力、存在感があってこそなのかもしれません。日本平ホテル内の和泉さんのアートワークは、「石に触れることで温かさを感じたり、勇気や活力を得てほしい」という願いを込めながら、繊細な感性と熟練の技によって息吹を与えられた作品です。
エントランスに設置された作品と、オールデイダイニングへと続く階段下に設置された作品も、本当にすぐ間近で「石」の存在感や、石を割ることで現れた肌合いの面白さに触れることが出来ます。
また、日本料理「富貴庵」の脇の庭園に設置された3つの水盤。この3つの水盤に抽象的に据えた景石は、瀬戸内海に浮かぶ「犬島」から採掘された「花崗岩」の巨石。床面には地元静岡産「輝緑岩」の砂利や、黒色花崗岩のスレート石を使用されています。こちらの作庭された景色も、お食事を楽しみながらぜひご鑑賞いただきたい作品です。
石彫家 和泉正敏(いずみまさとし)
1938年、香川県高松市牟礼町生まれ。伝統的な石彫作品の制作を代々の生業としてきた家系に生まれる。
1953年、石の仕事を始め、石を割ること、ノミ、磨きによる加工を続ける。
1964年、建築、庭などの石による可能性を求め「石のアトリエ」を設立。同年、イサム・ノグチと出会い、現代的な石彫創作の道を歩み、以後25年間イサム・ノグチの制作パートナーとして協力。また、現代建築家とのコラボ、彫刻、庭の制作も手掛ける。
石のアトリエ主宰、公益財団法人イサム・ノグチ日本財団理事長。
日本平ホテル2階エントランスと1階のオールデイダイニングをつなぐ高さ10メートルの壁面は、30段ものグラデーションに塗り分けられています。この壁の制作者は、現代のカリスマ左官職人と呼ばれる久住有生氏。天然の土の配合から水混ぜ、練りや鏝(こて)での塗まで、全て職人たちの手作業、フリーハンドで行われています。そのため、型や機械では決して出せない、優しく自然な風合いが壁全体からにじみ出ています。また、この壁土にはホテルの造成工事の時に採取した敷地内の土も使用されています。
『どの現場でもその土地の自然や風景を意識しながら、土や材料を選びます。その土地ごとの風土を出来るだけ大切にしたいと思っています。』この大壁のグラデーションは、時や光の移ろいをイメージしているのでしょうかと訊ねると、『私なりのイメージや考えはありますが、この壁を見た方たちが自由に何かを感じていただければ、それが一番嬉しいですね。』と答えてくれました。
1階の壁は、マチュピチュをイメージされたのですか?という質問には、『この場所にはキッチリとした造形や質感の壁が似合うと思いました。日本平ホテルの「自然・伝統・お客様を大切にする」というコンセプトから、時代を超えた魅力という意味で遺跡をイメージさせる仕上がりとしました。』という答えが返ってきました。マチュピチュは石の壁ですが、こちらの壁は土を少しずつ何層にも何層にも塗りながら厚さを出している。土でありながらその重厚な質感は、優れた職人の丁寧な手作業ならではです。ぜひご来館いただき、この質感を間近でお確かめください。
左官職人 久住 有生(くすみ なおき) 左官職人。1972年淡路島生まれ。3歳より鏝を握る。高3年の夏に父の勧めで渡欧したスペインにて、アントニ・ガウディのサグラダ・ファミリアを目の当たりにし、100年以上建築が継続されている存在感に圧倒され左官職人を目指す決意をする。18歳から職人として本格的な修行をはじめ23歳にて独立、その卓抜した力量は瞬く間に話題をさらう。伝統的な技術と現代的な感性をあわせ持つ職人として数々の作品を生み出し、テレビ番組「情熱大陸」や「ソロモン流」にも出演。近年では左官技術の伝道師として、国内だけでなく海外でワークショップを開くことも多く、ドイツやフランスなど海外の建築現場で日本の左官技術の普及に努めている。